« 芸術と美食を体感できるロートレックの世界 | メイン | ウワサに惑わされがちな今だからこそ見直したい、昆布の栄養機能と活用法 »

次の一歩を踏み出すための物語

2011年11月13日

日本を代表する写真家の一人として、海外にも広く紹介されている畠山直哉さん。

2006年にタカ・イシイギャラリーで初めて畠山さんの作品を目にしたとき、軽いショックを覚えました。
2003年~2004年にかけて、ドイツ、ミュンスター南東部の旧炭鉱都市アーレンで撮影された使われなくなって破壊されるヴェストファーレン炭鉱の建物のシリーズ写真がダイナミックながらも静謐な美しさをたたえていたからです。

%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E7%82%AD%E9%89%B1%EF%BC%8300276_s.jpg
ヴェストファーレン炭鉱Ⅰ/Ⅱアーレン #00276 2004


以来ずっと気になっていた畠山直哉さんの代表作から初公開の近作・新作まで136点が見られると聞いて、東京都写真美術館で開催中の「畠山直哉展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ」へ行ってきました。

首都圏の美術館では初めての個展で、自然と人間との関わりを改めて俯瞰するような世界各地の風景の作品を中心とした11シリーズから構成されています。同展には畠山さんが生まれ育った岩手県陸前高田市の震災前と震災後を捉えた作品も紹介されています。

%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%AB%EF%BC%8306409_s.jpg
テリル #06409 2009

%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%AB%EF%BC%8302607_s.jpg
テリル #02607 2009


「Terrils(テリル)」はフランス・炭鉱のぼた山(石灰ガラを集積した山)を中心にその周辺の風景を遠方からとらえた作品シリーズです。

これらの山は要らなくなって捨てられた廃棄物で人工的に作られたものであるにもかかわらず、周囲の自然と調和して、美しい「山」としての存在感を示しています。

目を凝らしてよく見ると、そのひとつひとつの風景のなかに、タイヤ跡や線路、小さな人間のシルエット、霞んだ大気の向こうの街並みなど細かいディテールも刻まれているのが分かります。

俯瞰して撮影された壮大でグラフィカルな景色のなかにも必ず人の気配や、人の痕跡が感じられるのです。

%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A2%E3%82%B9%EF%BC%8307303_s.jpg
アトモス #07307 2003


%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A2%E3%82%B9_03407_s.jpg
アトモス #03407 2003


「Atmos(アトモス)」は2003年初頭にフランスのアルル地域で制作された作品シリーズ。フォス・スュル・メールにある製鉄工場から巨大な蒸気の雲が常に吹き上がり周囲に垂れ込めています。タイトルの「Atomos」は「Atomosphere」の語源となっている古代ギリシャ語で「蒸気」のこと。蒸気の雲の躍動感がカマルグ湿原のミニマルで静かな自然風景と見事な対比を成していますが、その工場から吐き出される人工的な蒸気の雲がいつしか自然の大気へとつながって行くのに気づきます。

%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%B9%EF%BC%8304414_s.jpg
シエル・トンベ #04414 2007 


「Ciel Tombe(シエル・トンベ)」は2007年、パリ・東端ヴァンセンヌの森の地下にある地下採石場跡を撮ったシリーズ。ヨーロッパには街を建設するための石材を市街地直下の地中から切り出していた都市があり、そのなかでもパリほど大規模な採掘が行われていた地はほかにないそう。中世から近代まで続いた採石作業のせいで地下にぽっかりと空いた巨大な空間は天井の一部が剥がれ落ちたドームのようになっています。「Ciel Tombe」は直訳すると「墜ちた天」ということ。地下17mに位置する「ラ・ブラッスリ」と呼ばれるこの採石場跡では、地上が樹木ばかりで建造物がないために、いくつかの「Ciel Tombe」もそのまま補修されることなく放置されています。


畠山さんの作品シリーズには、ふだんあまり人が見ることができない、壮大で、時には畏怖さえも感じさせる光景が写し出されています。その中には、2つの相反するものが混在し、あるいは対比させられていて、自然と人間との関わり合いの接点やその場と人間との時間のやりとりを感じさせる独特の描写がなされています。
風景写真なのですが、強い哲学的な構造と情緒的ではないストーリー性を感じることができます。


「展示にパーソナル・ヒストリーを含めるのは初めて」と畠山さんが語った「気仙川」と「陸前高田」のシリーズ。2002~2010年にかけて川と人々を撮った60点のスライド写真が途切れることなく1カットずつループで写し出されるモニターの対面に、震災後撮った60枚の写真が展示されています。そのなかの1枚である米崎町で撮られた写真には小さな安堵感を覚えました。生い茂る木々の黒いシルエットの間から海へと延びていく日差しを浴びた白い道。その遠方に歩いている小さな人影を発見したからです。

「『記録』は常に未来からの視線を前提としている。そこに見える光景が過去であっても、写真自体は延々と未来に運ばれる船のようなものだ。いっそ『記録』は過去ではなく、未来に属していると考えたらどうだろう。そう考えなければ、シャッターを切る指先に、いつも希望が込められてしまうことの理由が分からなくなる」

これは畠山さんが2006年タカ・イシイギャラリーで「ヴェストファーレン炭鉱Ⅰ/Ⅱアーレン」シリーズの個展に寄せた言葉です。

  
【開催期間】2011年12/4(日)まで
【開催場所】東京都写真美術館2階展示室
【展覧会ウェブサイト】http://www.syabi.com/ 
                                (吾妻りえ)


トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.living-lets.com/cgi-bin/bg/mt-tb.cgi/633

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)